そんなシャーロック·ホームズの生みの親、アーサー·コナン·ドイルは一八五九年、イギリス北部のスコットランドに生まれ、さまざまな歴史や伝説にふれて育ちました。大学を出て医者になりましたが、あまりかん者さんが来てくれなかったのが、小説を書きはじめたきっかけです。
最初のホームズ物語『緋色の研究』が本になったのは一八八七年で、次に『四つの署名』を書きましたが、このときは、あまりひょうばんになりませんでした。ところが、一八九一年に雑誌で『シャーロック·ホームズの冒険』を書きはじめたところ大人気となり、何十年にもわたりホームズの物語を書きつづけることになりました。
あまり人気がありすぎて、ドイルがもともと書きたかった歴史小説を書くひまがなくなり、しかたなくホームズが大悪人のモリアーティ教授と対決して死んだことにしたら、読者だけでなく、ドイルのお母さんにまでしかられてしまったほどです。ほかに、ベーカー街二二一番地Bあてに、ホームズへの手紙が山のようにとどいたという話ものこっています。
ホームズの物語は全部で、長編が四作、短編集五さつにおさめられた作品が五十六あります。この本に入れたのは、中でもとくにおもしろい作品をよりすぐったものですので、大きくなったらほかのものも読んでみてください。そして、ホームズ以外の探偵小説にも、ぜひ手をのばしてほしいと思います。それはきっと、みなさんの一生の楽しみになってくれると思いますから。
这位歇洛克·福尔摩斯的作者是阿瑟·柯南·道尔,1895年生于英国北部的苏格兰,在各种历史与传说的影响下长大。大学毕业后成为医生,但因为病人不多,于是开始写小说。
第一部福尔摩斯的小说《血字的研究》出版于1887年,之后又出版了《四个签名》,但这一时期并没有引起多大反响。然而到了1891年,《歇洛克·福尔摩斯冒险史》在杂志上刊载后大受欢迎,之后数十年福尔摩斯的故事一直持续出版。
因为福尔摩斯系列非常受欢迎,道尔越来越没有时间来写作自己想写的历史小说/但道尔能留给自己想写的历史小说的时间越来越少。不得已,他决定让福尔摩斯与大反派莫里亚蒂教授对决,然后死去。结果不仅是读者,就连道尔的母亲都在谴责道尔。不仅如此,据说贝克街221号B收到的寄给福尔摩斯的信件也堆积如山。
福尔摩斯的故事共有长篇小说四部、短篇集五册——包括短篇小说56篇。本书选择收录了其中尤为有趣的篇目,请小读者长大后继续阅读其他作品。还有,希望小读者们也能阅读福尔摩斯以外的其他侦探小说。因为我认为这些作品一定能给你带来终生的乐趣。
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有一个问题想请教老师:这部分有两处都用到了“てくれる”,一个是“あまりかん者さんが来てくれなかったのが”,一个是“みなさんの一生の楽しみになってくれると思いますから”。之前学的“てくれる”是别人为我做某事,在这里为什么这么用?
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本帖子最后于 2024/5/21 17:57:14 编辑 ]