【99】
宮之原がこたえた。
「足助は桜も有名なんですよ」
真祐美はまえを向いた姿勢で話した。
香嵐渓をみおろす飯盛山に香積寺という寺がある。その寺の十一代住職の参栄禅師が、巴川のほとりから寺までの参道に楓を植えたのが、紅葉の名所になる始まりであった。
それが、いまから二百七十年ほどむかし、江戸時代のはじめの出来事で、ずっとくだって大正末期、いまでいう町おこしのようなムーブメントがあり、飯盛山一帯を整備して森林公園にし、あわせて桜や楓を植え足した。
そのため、紅葉だけの名所ではなく、桜の名所にもなったのだ。
香嵐渓の名前も香積寺の香、山峡に立ちのぼる嵐気の嵐をとって、昭和五年に命名されたものであった。
「いや、旅行雑誌に書いてあったのは『四月八日の花まつり』。お釈迦さんの花まつりのことでした」
宮之原がいった。
「お釈迦さまの花まつりって、どういうんですか」
真祐美はたずね返した。
【译文】
宫之原回答说道。
“足助的樱花也很有名气。”
真祐美目视前方说道。
在俯视香岚溪的有一座名叫香积寺的寺庙。寺庙的第十一代住持参荣禅师沿着从巴川河畔开始延伸到寺庙的参道两旁种植枫树,这就是成为红叶名胜的开端。
那是距今二百七十年,在江户时代初期发生的事情,一直到大正末期,这里掀起了一场现今所说的城市振兴运动,于是饭盛山一带经过改造变成了森林公园,同时加种了樱花和枫树。
因此,这里不仅是红叶的名胜之地,也成了观赏樱花的胜地。
香岚溪的名字也是取香积寺的“香”,山谷中升腾的“岚气”的“岚”字,是在昭和五年命名的。
“对了,发表在旅行杂志上的那篇文章名叫《四月八日的花祭》。也就是释迦牟尼的花祭。”
宫之原解释道。
“释迦牟尼的花祭,是怎么样的呢?”
真祐美问道。
请老师看一下。
低头做事