ついでながら同じアジアでも中国語はこの音節の傾向とまったく違うし、韓国語も同じではない。三国の内で日本語にもっとも南方系の要素が強いことは、地図の上で眺める三国の位置とよく合っていて、おもしろい。日本列島は太平洋圏の北西端に、ぽつんとかかっている三日月のように、美しく切なく見える。
こうした日本語の中の南方からの旅人にサンスクリットがある。南風のことをハエといい、白(しら)南風(はえ)、黒南風(くろはえ)という漁師ことば由来のものがあるのも、そのひとつとされている。これは徳川時代の儒学者で、ことばに関心の大きかった新井白石が主張した説である。
われわれは海岸線沿いの各所でよく、今日の日本語では意味の通じない地名と出会わないだろうか。たとえばメラなどという地名もそのひとつだ。これなどは、白石のいうサンスクリットの北上したものだろう。
さて、こうしてマナがモノと発音されて日本語になったということは、このマナのもつ意味内容が南方人によってもたらされたことになるが、マナとは何か。少し長いが、ごく一般的な意見の体表として『広辞苑』(第六版)の説明を引いてみよう。
メラネシアをはじめ広く太平洋諸島の見られた非人格的、超自然的な力の観念。精霊、人、生物、無生物、器物などあらゆるものに付帯し、強い転移性や伝染性がある。この観念に宗教の起源を求める学説をアニマティズム(マナイズム)という。
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顺便说一下,同样位于亚洲的汉语则完全没有这种音节的倾向,韩语也并非如此。有趣的是,在三个国家中日语具有最强的南方语系的要素,看地图上看的话这一点也很符合三个国家的地理位置。日本列岛位于太平洋文化圈的西北端,就像初三的新月一样孑然独立,美丽而又凄凉。
在这样的日语中,也有从南方而来的旅人带来的梵语特征。南风读作“ha’e”,也是一个由来于渔夫用语(比如白南风、黑南风)的例子。这一点是德川幕府时期的儒学家、非常关注语言的新井白石所主张的观点。
如果我们在海岸沿线的各地走走,难道不会碰到很多用现代日语完全解释不通的地名吗?例如メラ之类的地名就是一个例子。这些例子大概就是白石所说的梵语北上的产物吧。
Mana发音变为mono而成为日语词汇,而这个mana保有的含义和内容经由南方人传入日本,那么,mana究竟是什么意思呢?稍微有些冗长,且让我引用一下代表极普遍意见的《广辞苑》(第六版)的解释吧。
始于美拉尼西亚而广泛地见于太平洋诸岛的,关于非人格的、超自然的力的观念。附着于灵魂、人、生物、非生物、器物等一切的东西,具有很强的转移性和传染性。研究这个观念的宗教起源的学说被称作万物有灵论(玛那论)。
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先生の教えをお願いします。
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本帖子最后于 2024/5/17 12:23:15 编辑 ]
靡不有初,鲜克有终……