自慢ではないが、小中学時代、私はかなりな読書家だったと思う。学年でも上位に入るほうだったと思う。しかし、さあ読書感想文を書けと言われても、いっこうに書けないのだ。自分でも不思議だった。どうして、こんなに本を読んでいるのに書けないのか、わからなかった。
つい先日、その永年の疑問が氷解した。私は、読書感想文が書けるような本を読んでいなかったのだ。といって、大人向けの妖しげな本ばかりだったわけではない。私が主に読んでいたのは、汽車の時刻表、地図帳、人名事典、旅行案内、百科事典、美術写真集、植物図鑑などの類であって、それらは、読書感想文を書けない種類の本だったのだ。
世の中には、読むための本と、調べるための本がある。読むための本は最初から最後まで読まなければならない。たいてい、人の人間が最初から最後まで書いている。一度退屈したら、挫折するしかない。小説や読み物はそのようなのだ。そうして、それが読書感想文の扱える典型的な本なのだ。私が読んでいたのは、何か疑問があったときに読む本で、必要なベージしか読まない。退屈する暇がない。
(中略)
世に読書嫌いと言われる子どもたちが多い。親は必死になって、いわゆる読み物の類を買い与える。面白がるのならそれでもいいけれど、そんな本はつまらない、と言う子がいてもおかしくはない。それでも、恐竜カタログは好きかもしれない。歌の本なら読むかもしれない。
本の形をしているものに親しむことが大切なのではなかろうか。
并不是我自吹自擂,我觉得自己在小学中学的时候很喜欢读书。在学习上也名列前茅。可是,被要求写读后感的时候,一点都写不出来。连我自己也想不通。不明白为什么明明读了这么多书却写不出来。
就在前几天,终于解开了这个多年的疑问。我读的就不是能写出读后感的书。不过并不是说我读的都是写给成年人看的、奇怪的书。我读的主要是火车时刻表、地图册、人名辞典、旅游指南、百科全书、艺术摄影集、植物图鉴等等,这些可不是能写出读后感的书。
世界上的书,有的是用来读的,有的是用来查的。用来读的书,必须从头读到尾。大体来说,是某个人从头写到尾。一旦读得无聊,就只能放弃。小说或读物都是这种,也就是典型的适合写读后感的书。而我读的,是有问题的时候会去读的书,只读需要读的几页,没工夫觉得无聊。
(省略)
有很多孩子说不喜欢读书。家长拼命买读物回来给孩子看。虽说如果有趣的话这些书也很好,但如果孩子说没意思,也没什么奇怪的。但说不定也许孩子会喜欢恐龙图册吧。歌本的话说也许也会读。
对书这种形式的东西感到亲切,才是最关键的吧。
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本帖子最后于 2024/6/24 19:56:11 编辑 ]