尾道港は昔は「玉浦」と呼ばれ、万葉集にも歌われたほど、古くから風光明媚の地として知られていた。
プラットホームに立って、切り立った山肌を仰ぎ、振り返って港の方角を望んだ。こういう時に、ふっと旅情を覚える。
はるけくも来つるものかな――という思いが寄せてきた。
車でドライブする旅には、こういう旅情めいたものは、あまりない。あっても、そのしみじみとした味わいがないものである。
車の旅は自ら軌跡を描いて移動する意識があるのに対して、列車の旅は、乗車した場所と下車した場所とを、点と点で意識する。目覚めたら、違う場所にいた――という感覚は、列車の旅の独壇場である。
弓岡正はここに立って、何を思ったのだろう。
浅見は弓岡の旅情を感得しようと、しばし瞑想した。
スピーカーがのどかなアナウンスを流し、まもなく下り列車が入ってきた。
列車は特急の広島行きで、休日でもないのに、結構、観光客がたくさん降りてきた。若い女性ばかりのグループも3組、千光寺山を見上げながら、にぎやかな嬌声を交わして、出口へ続く階段へ向かった。
尾道港在古代被称为“玉浦”,连《万叶集》都歌咏过,自古以来都是风光明媚的好去处。
浅见站在月台仰望高耸的千光寺山,又转身望向尾道港,此时,浅见感觉一股旅情油然而生。
轻舟已过万重山——对来时路的回忆涌上心头。
如果是开车过来的话,是不会感觉到这样的旅情的。即使有,也不能像这样深深地体会。
开车的话可以意识到自己的移动轨迹,但是与之相对,乘坐列车的话,只能意识到上车站和下车站之间点对点的移动。回过神来已经到了一个全新的地方——只有乘坐列车才会让人有这样的感觉。
弓冈正也曾像这样站在这里思考着什么吧。
浅见为了深入体会弓冈的旅情,暂时闭上了眼睛。
喇叭里传来了柔和的广播声,不久下行列车就进站了。
这趟列车是驶往广岛的特快列车,没有休息日,因此下车的游客非常多。有三伙结伴的年轻女性,一边仰望着千光寺山,一遍叽叽喳喳地交谈,走向了出口处的楼梯。
先生の教えをお願い致します。
靡不有初,鲜克有终……