浅見も苦笑しながらうなずいた。
  警察の捜査が、島田の言うような理由からずさんになるとは、曲がりなりにも警察庁幹部の身内の者としては考えたくないことだが、人員や予算に限度がある警察としては、どうしても対症療法的になりがちだ。
  現実に、警察に届けられている多くの行方不明者について、捜索が完全に行われるというケースはほとんどないと言っていいかもしれない。
  島田の言うとおり、警察にしてみれば、凶器準備集合罪といった公安関係の事犯を別にすれば、「事件」とは要するに「何か」が起こって、はじめて成立するという性質のものではあるのだ。
  松川の死を[自殺」と断定する材料は、少なくとも「他殺」とするよりもはるかに多かったに違いない。いや、その言い方が妥当でないとすれば、「他殺」を匂わせる材料はほとんどなかったということなのだろう。
  「他殺であるとするには、唯一、畑谷氏の供述が嘘である――したがって、畑谷氏が犯人である――ということになります」
  浅見は否定的な立場から考えて、言った。
  「それだと、畑谷氏が事件を通報したことが説明しにくいですね。目撃者がいないにもかかわらず、警察に通報するというのは、いかにも馬鹿げていますからね」
  浅见苦笑着点头。
  如果警察的调查真像岛田说的那样漏洞百出,那警察厅(注:警视厅的上级机构)的官员自然是不愿意承认的。不过,毕竟警察的人力和预算也有限,也难免会对不同性质的案件区别对待。
  在现实里,警察面对数量如此之多的失踪案,也很难说有哪一件是真正做到了完全调查清楚的。
  正如岛田所说,站在警察的角度来看,撇开凶器准备集合罪(注:三人以上因持有管制武器,或主观上以为持有管制武器而聚集,视为犯罪。主要是针对黑社会火并制定的法律。)之类的危害公共安全的案件不谈,一个案件之所以被称为“案件”,必须要是有什么不良后果“发生”了之后才能成立的。
  支持松川的死是自杀的证据,至少比他杀要多的多。不,这种说法也可能不太恰当,也可能就没有什么证据可以证明松川的死是他杀。
  “如果松川的死是他杀的话,那唯一的解释就是畑谷的供述是在撒谎——也就是说畑谷就是涉案犯人。”
  浅见站在否定的立场说道,
  “那样的话就很难解释为什么畑谷要去报案了。不管有没有目击者,自己主动向警方报案也太傻了吧。” 
 先生の教えをお願い致します。
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本帖子最后于 2025/5/26 12:10:08 编辑 ]
靡不有初,鲜克有终……