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楼主
    しかもこのころの中国では、インドの仏教を受け入れるかどうか、一種の宗教戦争をしている。
    日本の仏教をめぐる戦いは次章にふれる蘇我·物部の争いであり、遅れるなりに日本古代の動乱期、六、七世紀の交だというところに、それぞれの事象について七〇〇年周期史観は、大きな整合性をもつ。東アジアにおける仏教流動史の七〇〇年の一周期である。
    また、さらにお隣りの朝鮮半島にも帯方郡が後漢によって設置され(紀元後二〇〇年の前後。諸説ある。)ほどなく後漢が滅びるという大変動がある。この中国における変動期に日本も分国の王たちが中国文献に姿を見せはじめ、「倭(わ)国(こく)大いに乱れる」(『魏志倭人伝』)という趨勢(すうせい)を指す。大きなアジア史の動揺の一環と見てよい。
    その中で日本も、動揺の中から前国家時代の一つの文化的達成へと、生成の歩みを進めた。しかも倭はしきりに後漢や次の魏、また朝鮮の帯方郡と接触する。大きな大陸との交渉の中である。
四世紀半ばとされる崇神(すじん)天皇(ハツクニシラス天皇)以後の時代は、その結果の、この時期における文化達成の時代と考えていいだろう。
    すると日本列島の文化的環境が、縄文期の太平洋圏の北西の一部から、ユーラシア大陸圏の北東の一部へと、大きくシフトしていったことがわかる。
    従来の文化は一変した。
    かつての文化が大きく太平洋にひろがる背景をもっていたのとひとしく、新しい文化は、朝鮮、中国ばかりかインド、西域など、広くユーラシア全域を抱えた文化だった。

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  另外,这个时期的中国正在就是否接受印度佛教,展开了一种宗教战争。
    围绕日本佛教的战争表现为下一章涉及的苏我·物部斗争(丁未之乱)。迟来的日本古代的动乱期,到六、七世纪之交的时点,根据各种事实现象划分为七百年的周期史观,具有很大的整合性。东亚的佛教流动史以七百年为周期。
    另外,邻邦朝鲜半岛被后汉设置为带方郡(公元200年前后,说法不一),不久又出现了后汉灭亡这样的大变动。在这个中国的变动期里,日本分国而治的诸王也首次在中国文献里出现,显示出了“倭国大乱”(《魏志倭人传》)这样的历史趋势。不妨将之看作是东亚史上大动荡的一环。
    此中的日本,从动荡中走出来,向着前国家时代的文化塑造迈出了前进的步伐。而且日本频繁地与后汉和之后的魏、以及朝鲜的带方郡接触,处在和广阔大陆交流的时期。四世纪中叶的崇神天皇(御肇国天皇)以后的时代,作为文化交流的结果,可以将之看作是这个时期的文化塑造的时代吧。
    由此,日本列岛的文化归属从绳文时期的太平洋圈西北部的一部分,变为了欧亚大陆东北部的一部分,可知这一时期正在进行大变革。
    以往的文化焕然一新。
    日本过去的文化有着广阔的太平洋的背景,同样,新的文化向着朝鲜、中国,以及印度、西域等广阔的欧亚大陆全域敞开了怀抱。


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先生の教えをお願いします。

[ 本帖子最后于 2024/5/25 15:36:44 编辑 ]
靡不有初,鲜克有终……
2024/5/25 15:20:08
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1  しかもこのころの中国では、インドの仏教を受け入れるかどう...銀太郎2024/5/25 15:20:08
2   而且,这个时期的中国正在就是否接受印度佛教,展开了一种宗教...孙沈清2024/5/26 0:46:20
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