浅見の父親は大蔵省の局長まで行って、あとちょっとで次官――というときに急性心不全で亡くなった。浅見が中学生の頃のことである。以来、十四歳上の兄陽一郎が一家を背負い、愚弟の光彦を養ってきた。
そうでなくても、陽一郎は東大を首席で卒業した。浅見家自慢の息子である。一浪して二流大学に入って、卒業はしたものの、二流の商社や三流の新聞社、四流の薬品会社等々を転々としたあげく、フリーのルポライターなどという、胡散臭い職業に就いた浅見としては、まったく頭が上がらない存在である。
須美子が戻ってきて、「お風呂、お仕度できましたよ」と言った。言い方が少しつっけんどんなのは、雪江大奥様の手前、遅く帰ってきてわがままを言う次男坊への当てつけであるけれど、ほんとうはそれほどいやがってはいない。むしろ本心は「遅くまでご苦労さま」と労いのっ言葉をかけたいのだが、もともと素直に物の言えないタチの娘だ。
「須美ちゃん、いま鐘の声、聞こえなかったかしら?」
雪江が訊いた。
「ええ、聞こえましたけど」
須美子は少しも動じる気配はない。
浅见的父亲官至大藏省(日本财务省的前身)局长,就在马上要升任次长(大致对应中国财务部部长)的时候,突发脑梗去世了。那是浅见初中时候的事情。从那以后,年长十四岁的哥哥阳一郎担起了养家重担,抚养起了不才的弟弟浅见。
不止如此,阳一郎还以第一名的成绩毕业于东大,是浅见家的骄傲。对于复读一年进了二流大学,毕业之后辗转于二流商社、三流报社、四流药厂等等,最后当了别人看不上眼的自由纪实作家的浅见来说,哥哥完全是自己望尘莫及的存在。
须美子回来了,说道“洗澡水放好了”。语气有点生硬,这也是为了充当夫人雪江的喉舌,敲打敲打半夜回家却任性而言的二儿子。但是其实须美子对浅见并没有这么不耐烦。她反而是想说“这么晚回来辛苦了”之类慰劳的话,但是她毕竟不是有话直说的性子。
“须美,你没听到刚才撞钟的声音吗?”
雪江问道。
“这个啊,听是听到了。”
须美子好像一点也不为所动。
先生の教えをお願い致します。
靡不有初,鲜克有终……